カイコは、人がお世話をしないと生きられません。カイコはほかにはいない、唯一無二の虫。家畜として一生懸命絹のもとになるまゆを作るカイコは、他の虫とは違い〈1頭〉と数えられます。
知ってますか?地図記号にもカイコにまつわるマークが「桑マーク」。果樹園も樹林も、ひとつのマークなのに、なぜか「桑だけ」の記号があります。
今ではほとんどありませんが、カイコが食べるための桑畑、地図上に多くあり、また重要だったことの証拠でしょう。
豊作祈願の行事
養蚕にも関わりの深い「まゆ玉飾り」の風習やその関連行事について紹介します。
まゆ玉飾り小正月に米の粉で作った繭玉団子を柳や水木の枝にさして飾りつけたもので、神棚に供えるほか大黒柱や天井などにも飾ります。まゆ玉団子は一般的には五穀豊穣の願いからまゆや稲花などの農作物を模して作られます。 |
三九郎このまゆ玉団子は、飾ったあと「三九郎」の火であぶって食べるならわしになっています。三九郎とは正月飾りや縁起物などを燃やす火祭り行事です。 |
道祖神このような小正月の火祭りは地域によって呼び名の違いこそあれ、ほぼ全国的に広まっています。多くは「道祖神」の祭礼と結びつき道祖神の碑のそばでとりおこなわれます。 |
まゆ玉飾り
「まゆ玉飾り」はまゆ玉団子を柳や水木の枝にさしたもので「餅花」の一種です。
「餅花」とは丸めた餅や団子を柳の枝にさして作物の豊かな「稔り」を表現したもので、それを神棚やその近くに飾り作物の豊作を祈念した予祝行事です。この習俗はそれぞれの地域の生業や風習と結びついて様々な形態に発展していったようです。
例えば「まゆ玉飾り」の名のとおりカイコのまゆを模してまゆ玉団子をつくるほか、地域によっては稲花、野菜、果物などの農作物、農具、小判や巾着、動物、玩具な ど、主に五穀豊穣や商売繁盛などに関係したさまざまなものがモチーフにされています。
松本市内の農家にこんなめずらしいまゆ玉飾りの風習が残っていました。
蔟(まぶし)※に見立てた藁のなかにカイコがたくさんのまゆをつくった様子を表現しています。ニワトリのタマゴほどもあるこのまゆ玉団子には「大きくて立派なまゆがとれてほしい」という願いが込められています。
※蔟(まぶし)とは蚕に繭を作らせるための「足場」として用いる蚕具です。昔は藁を加工して作っていました。蚕繭の豊作を祈願していた名残
まゆ玉団子がカイコのまゆの形をしているのは、言うまでもなく養蚕をおこなう人々が蚕繭の豊作を祈願していた名残です。
小正月の1月14日から16日頃に神棚などに 飾るのが一般的なならわしですが、養蚕が盛んな(盛んだった)地域では二月初午を「まゆ玉祭り」として、まゆ玉団子を作り養蚕の守り神である「蚕玉(こだま)さま」を祭っているところもあるということです。
いずれにせよ、人々のあいだでこのような養蚕に特化した神様や習俗が生み出されるほどに、養蚕というものは重要視されてきたわけです。
蚕玉大神
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御札
養蚕は各地でさまざまな信仰を生み、多くの神社が「養蚕守護」を大々的にかかげ御札を配るようになりました。 |
昔から日本は養蚕の盛んな国だった
養蚕地帯ではカイコのまゆによる収入が家計の大きなささえとなっていたこともあり、その作柄の良し悪しは農家にとってまさに死活問題でした。
特に養蚕に関する知識や技術が未熟な時代においては自然災害、天候不順、蚕病等によっておこる収繭量の激減や作柄の低下は人の力ではどうすることも出来ない問題であり、しばしばこうした被害に見舞われていたであろう当時の人々の苦悩ははかりしれません。
誰もが困惑し、なすすべもなくただひた すら神にすがったに違いありません。一見すると華やかで楽しげなムードが漂う繭玉飾りですが、そこに込められた蚕繭豊作の願いは今の私たちが想像する以上に切実なものだったのかもしれません。